男山八幡神社とは

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お知らせ

​男山八幡神社

 鎮座地 福島県相馬郡鹿島町寺内字八幡林256番地 

 御祭神 譽田別命

       息長足姫命

 配神  建御名方神

 宮司  西 道典

 祭日  春季例大祭  4月5日(元旧5月1日)

     秋季例大祭  11月23日(元旧8月15日)

     式年遷宮大祭 戌年春

由緒

本神社は文徳天皇仁壽2年(851年)従五位下藤原朝臣興世が陸奥守となりて奥州に来り当地に住す。尋て奥羽二州の刺史となり復出羽守となりて羽州に転住す、出羽の蝦夷叛す刺史戦敗し上奏して援軍を乞ふ、朝廷副将軍を遣わして叛夷を平定す、其の後貞観年の始めの頃、興世は隠楢せんと欲し此地に来りて、冬暖にして夏涼しく清水あるこの地を撰ぶ、今の寺内、当初真野郷後の広野と云う地方、二四余町にして前後に二十余ヶ所の泉水有りて湧出す名地と為す、ここに方八町歩の大第を設け宏麗の殿宇を営み、仏法に帰依し人民を教化篤く衆人を憐み恩恵を施し荒蕪の地を開墾して戸口大いに蕃殖す。

仁政を布きて風俗を匡正す貴賤親睦国家平静となる時人尊敬して真野長者と称す。此人「国土安穏」「婦女安産」「嬰児堅固」の為に山城の国より男山八幡宮を移し奉りて此の地に勧請し衆人をして信仰せしむ、然るに上下四方の人民大いに信仰して隆盛の神社となり、従って戸口も亦大いに蕃殖せり。

信者妊婦皆来られ「おまくら」を借り祈りて、必ず安産すると伝えられる。亦、子授けの信仰も厚く、祈りて子宝に恵まれると伝えられる。 

摂社  諏訪神社

 御祭神  建御名方神

由緒

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建武中国司源顕家の族伊達郡桑折より来り真野郷に住し真野五郎と号す。其の三男真野三郎横手村に居り嗣子無く之を鎌倉将軍家に告ぐ。故に岩松義政を下して嗣となす(横手邑の居所を名づけて御所内といふ。千倉の庄七百町山中三百町凡そ千町を領す。)後三郎寺内邑に隠楢(居址を舘内と云う。)両社を祭りて守護神とす。神田を寄せ其地を諏訪田という。後寺内氏当邑を食み旧の如く社田を寄せて鎮守となす。寺内氏削禄の後富田備前隆実当村を采地とす。故に社田二反歩を寄せ護神とす。隆実の子甚右衛門茂実寛永十八年辛巳年故あり采地を没す。故に神田亦税田となる。茂実の子五右衛門正実出世の後元の如く守り神となし冨田氏の采地の内一石八斗余りを寄付し世々之を崇信す。

末社

子育て地蔵

社伝によれば、江戸時代以前に(神仏習合時)母親・子供のお地蔵さんを建立、

子供達の益々の健康発育と、子宝授かりを願ったといわれている。

田神社

祖霊社

祖先の霊をお祀りしている

その他

水子地蔵

幼くして亡くした幼児や、流産した胎児を供養するため祀られている。

        じさばら

子持ち石(地元の橲原産)

石灰岩の中にいろんな石が混在している自然石で 、さざれいしとも呼ばれている。

岩の中にたくさんの玉子があるように見えることから「子持ち石」と呼ばれ、

子授け、安産信仰のある当社に奉納された。

子宝いぬ

子宝・安産を祈り奉納された、十二支の干支が配置されており、

自分の干支を触り思いを込めれば願いが成就するという。

子育て獅子

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言い伝えから、子供の限りない生命力と健康を願い奉納建立された。

翌桧(あすなろ)の根元

旧御神木であるアスナロ。2003年の台風による強風で倒木した。

当時、国内のアスナロとしては最大級だったといわれている。

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